浄瑠璃

1月9日(金)と、10日(土)のライヴ、それぞれの会場でお会い出来た皆さん、ありがとうございました。

 

 

9(金) 

金曜ヨルは、幡ヶ谷フォレストリミットにて、お店とMGMDによる企画ということで、普段から仲良くしていただいてるCARRÉのMTRさんから、お呼びがかかり、参加させていただくことに!

 

先月からの四肢の麻痺再発で、指先が覚束ないので、CDRに自分の音を仕込んだものを持参、CDJでライヴMIXさせていただいたわけですが、これが毎回の試練かもしれんが、DのJのミキサーが、バロック音楽等で用いられてる古楽器のチューニングと似た繊細さを要求されるのです。

パイオニアーのDJミキサーが、AT車だとすると、フォレストリミットのDJミキサーは、マニュアル・トランスミッションのクルマみたいなのです。

 そして、ALTECのスピーカー。

1930年代の政治的プロパガンダ〜演説に採用された技術が、亡命ユダヤ人技術開発者たち、それから、第二次大戦後の補償として、戦勝国に流れて、更なる技術的な向上がなされた結果、ハリウッド経由で、各地の映画館や教育機関、また、マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の演説が行われたような場で用いられてたような遠くまで声が届く…即ち中域の豊かなスピーカーなので、PCソフト音源以降の音、とくにゼロ年代からゲロ年代の圧縮された音との相性は、平成生まれの人に明治生まれの爺さん婆さんに怒られた経験を伝えるぐらい互換ギャップがあるわけです。

つまるところ、歌声とか、ラテン系のパーカッションの豊富なハウス、何より1950〜60〜70年代から、80年代半ばまでの多少の雑味を含んだ国内外各地で花開いた歌謡ポップス、ラテン音楽、JAZZ全般のアナログ音源が、無条件で、しっくり来るスピーカーなので、ぼくが作ってるようなミュージックでブースに臨むと、毎回ホント冷や汗もんです。

 この日は、寒い季節でもあるので、どーしてもALASKA気分というか、CARRÉのご期待に応えたい気持ちもあってCLUB MUD名義の異種トラックス、HitachtronicsさんとのコラボレイトCD-R 32枚組『Warrior Angel #2』からのテイクを用いたミックスを遣らせていただいたのですが、もー終始、ミキサーのEQバランスと格闘してました。

パイオニアーのミキサーのEQとは、あきらかに違うバランスに…気持ちは、顔を洗って出直して来ます!です。

そーゆー気持ちで格闘した機会に、自分でも特に気に入ってる『Mongol on my mind』や『ALASKA '80』、『Fitness Studio Alaska』等のPOLAR RAVE TUNEを鳴らせたのは、光栄でした。

 

無事にパルスマン&まゆこのお二方に繋げることが出来、ヨカッタ!

 

pulseman x MAYUKo LIVEは、PAを椛ちゃんが遣ってる図を夢想しながら、拝聴。 

 

みなさん一様に「四つ打ち」として受けとめてらしっゃるのか?どうかは、わからないが、どちらかというと、その脈動は、直線的なグルーヴぢゃなく、振り子のような/跋扈のようなグルーヴをpulsemanが繰り出して、MAYUKoが、なだらかな螺旋を描きながら、シンセで綴れ織りしてく感じでした。

この「振り子」のような揺らぎが出せるところに、彼らの機材編成の意義があるのだろうなァ…

BPMなんぼで揃えりゃハイッ出来ますよ〜ってわけぢゃ〜おまへん。

水の硬軟や火加減のスルドイあまい…と、一緒ですねん。

三味線にも棹の太い細いで音ちゃいますやろ?そーゆーこと。

 

ちょっと、滅多に聴けない上方歌さながらの位相でした。

 

聴きながら、大坂や京都、奈良の景色が、高架ぐらいの高さんとこ、概ねビルヂングの5階層6階層らへんで乱反射する絵を逍遥してましたが、詳細は秘密♡

 

オナイロンの催しでは、とんちんかんなやり取りもあり、加齢とともにすっかり弱くなった徹夜なんばしよっとね?からくる疲れもあり、シラフで作曲してるのがデフォルトな自分は、「え?あんなヤバイ音、シラフでつくってるんですか?」との問いかけに恐怖さえ感じ、凹みに凹んで…タマでE気持ちになってるヤングに向かって「じぇじぇじぇ!オラぁ〜回答から見て問題集の答え埋めてようなダサイことしたくないんだっぺよーごめんね〜ゴメンネ〜」と毒づくことも甚だ面倒くせぇし「今、頸椎症でマジ大変だから、お前さんみたく、素直にハイにもなれないんDA・YO・NE〜」とも云えずで…都営新宿線からC線の乗換通路に溜息充満させて帰路につきました…

 

…で、朝帰りの後、用で出かけるうちの人と交替で、子供の相手&仮眠。

数時間の仮眠で、復活。

午後7時開場のイベントに参加させていただけるのが、凹んでヒマもない感じで、好都合だった…

 

10(土) 

朝7時すぎに帰宅。

相方が用事で出かけるので、2〜3時間の仮眠をとってから、お昼の支度。

わが子は、このところ乳歯が抜けはじめ、永久歯に生え変わる時季なので、適度に食べ易いメニューを拵える。 野菜をピュレ状にしたものをベースにスープをつくって、湯豆腐やら即席麺やらライスカレーやらを作るのが、手っ取り早く、かつ楽しい。

 

開場の午後7時まで、まだ6時間ほど有るが、ここ数週間のあいだに練っていた蝋燭の「演奏」の大まかな段取りに納得が行くように思えたのは、実は、仮眠から目が覚めたばかりの時間のことで、予め用意していた数種類の蝋燭をどのように使うか?を漸く決めることが出来た。

 

前回、前々回…と遡ると、その「演奏」のどれもが、破綻していたようにも思う。

なぜかというと…

狭義の音楽的裁量を採用していたこと

主に会場の空間の制限も有って完全な暗闇をつくれなかったこと 

また、当然と云えば当然なのだが… 蝋燭に火を点したり消したりだけの行為では「音の返りがない」ので、演奏中から大変な疲労を伴っていたこと

等々、どうにも「遣ってみるまで、わからない」という、或る種の不安と緊張から、逃れられない…というわけだった。

 

今回は、用意した蝋燭に、大中小といったサイズの異なる「編成」を見出せたことが、LIVEのフックとなり、与えられている持ち時間をどのようにぬうか?に、メリハリを持てる気がして来たが、しょーみ、10日のtamaruさん主催のイベント:New Year Silence の会場となったFtarri水道橋店に於いて、どの程度の「暗闇」が、得られるのか? ということが、かなり気がかりでもあった。

 

暗闇の約束されたロケイションで、何が導き出せるか? 

 

というと、ありがちなのは、或る種の舞台空間をお膳立て出来る…

 

ということが云えるが、

ぼくにとって、蝋燭の点灯と明滅を用いた「LIVE」は、みること〜きくこと/きかれる〜みられることの関係性から来る約束事のようなものを「異なったアングルから、あぶり出すこと」でもあるため、つとめて「わざとらしい」「作為的すぎる」「もったいつけた」ような手際から遠ざかるための手だてとして、会場の照明/ライティングのほとんどを消灯した暗転状態は、見せる為の「演出」ではなく、物事の「興り」を捉えるためのキッカケとして、扱いたかったわけでもあるが、今回のLIVEで実感できたのは、ぼく自身の内側にあるものを一旦、お客さんとの共有領域にもなりうる「暗闇」に括り出せたのでは?ということだった。

 

より云うと、

それは、普段、自分が考えを巡らせてるという行為そのものを其処に在る、ありのままの暗闇として現出できたようにも思えて来て、わくわくして、このような酔狂めいたことをLIVEで遣るということの意義を再確認できました。

 

更に。

それは、旧い時代に遡ってガス灯普及以前のもっと前の江戸というか、例えば永井荷風が執拗に嫌悪していたラジオが登場しはじめた時代 (当時のラジオは、現代のラジオ以上に、遠心力というより、中央集権への求心力を強制しうるような装置という側面が強かったのではないだろうか?) までは、まだ有効だった携帯可能 (尺八とか三味線とか) の非アカデミックな共有領域としての「闇」と交わっていたような音と耳の豊かな「自前の体系」みたいなもの…

 

つまり、録音以前の複製される/灯されるものとしての無数の音とか唄と、それらを「淫声」としてアカデミックな視線 (楽器だと琴。琴は携帯するには不向き/尤も動けないからこその葛藤を昇華したような位相〜ディズニーの得意とするテーマか?〜も看過出来ないのだが) から抑圧されながらも存続してたような聴き取る「耳」 (たぶん、実際の遊郭とかの場所って、すごい数の音によるアイコンみたいなものに満ちてたんじゃないか?…辛うじて残存してるものだと、義太夫節における太棹の三味線のチューニングと、浪曲の陰三味線が好サンプルのように思う) と、反転したカタチで現存するのが、現代が享受してる街灯や道路灯なのではないか?とも思いを連ねるのだった。

 

どのみち、それらは、融通のききにくい/言ったそばから、影カタチを変え、上書き更新されつづけてゆくようなものことの「興り」ゆえの扱い難さに満ちていて、興味深い。

 

(まだまだ、つづきが有りますが、また書ける時に書こうと思います)